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同期の桜  [日々のこと]

ちょっとしたきっかけで又「半藤一利」の本を読んでいる。
15歳で東京大空襲のあり命からがら生き延びた体験が著書の原点
と取材を重ね昭和史の本を書かれた。
 今回は3冊の本を借りてきた。図書館にある本の検索で
借りました。
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まだ読書中ですが今読んでいるのはその中の「ぶらり日本史散策」
取材中の見つけたいろんなことを短編で楽しく書いてある。
隅田川の橋と軍縮会議、7割海軍の亡霊、チンは重心なり、
立ちしょん裁判ばなし、ナチス・ドイツへの傾斜、なつかしの日の丸弁当
原爆投下目標都市、首相選出ばなしなど昭和の時代のお話です。

目に留まった一つが「同期の桜」のそもそもは
軍歌「同期の桜」の作詞者について 要約すると
元海軍大尉「帖佐裕(ちょうさゆたか)」と判明している
海軍兵学校71期 人間魚雷回天の1期訓練生で特攻退院の生き残りのひとり
回天出撃の時に氏が作詞したのを歌ったとのこと

同じ部隊の庭に咲くがの部隊が兵学校、航空隊などに帰られて
広まったとのこと。

これで終わりと思ったら帖佐さん、ずっと後になって
「レコード聞いていい歌だと思ったので適当に歌詞を直して歌った」

元歌があるんだと探したらあった、昭和13年少女倶楽部1月号に
戦友の唄(二輪のさくら)西條八十作詞 少女の雑誌です。
その後、曲をつけてレコード発売されたとのこと。
こんな歌詞です。
「二輪の桜」
西条八十詞  雑誌『少女倶楽部』【昭和13年(1938年)2月号】

君と僕とは二輪のさくら 
積んだ土嚢の陰に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ 
見事散りましょ 皇國(くに)のため

君と僕とは二輪のさくら 
同じ部隊の枝に咲く
もとは兄でも弟(おとと)でもないが 
なぜか氣が合うて忘られぬ

君と僕とは二輪のさくら 
共に皇國(みくに)のために咲く
昼は並んで 夜は抱き合うて 
弾丸(たま)の衾(ふすま)で結ぶ夢

君と僕とは二輪のさくら 
別れ別れに散らうとも
花の都の靖國神社 
春の梢で咲いて会ふ

なるほどです。
こちらが「同期の桜」です


歌に歴史あるですね。「歴史探偵」さん、よく調べましたね。


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プー太の父

難しそうな本を読んでいるんですね。若い時
忘年会で「同期の桜」を歌う人がいたのを思い出します。
お誕生日は昨日でしたね。
おめでとうございます。ますますお元気でヽ(^。^)ノ

by プー太の父 (2023-12-16 07:00) 

acconomugi

いいえ、難しくないですよ(^◇^)
明治時代後期から終戦までのことを市民目線で
わかりやすく書かれています。時には江戸っ子
口調も。私たちも会社の飲み会などでよく
同期の桜を歌いましたね、意味もよく知らずに。
はい、また一つ年を重ねました。この1年の無事を
感謝して、新たな1年のスタートです。
まずが娘から貰った養命酒を飲んで(^◇^)
by acconomugi (2023-12-16 15:39) 

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