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竹槍(たけやり)事件 [日々のこと]

梅雨末期のような線状降水帯での記録的大雨、新型コロナの爆発的感染拡大
と大きな出来事にハラハラしている今日このころです

が明日は8月15日、終戦記念日です。忘れてはいけない日ですね。
今思うとなんでこんなバカな戦争したのだろうと思うのですが当時の出来事
雰囲気など詳しく調べてみるとなるべくしてそうなってしまったと、、、。

昭和19年2月、竹槍事件なるものがありました。今の毎日新聞の記者
新名丈夫(しんみょうたけお)紙の書いた新聞一面の記事です。以下ウィキペディア
寄りの抜粋

『太平洋戦争中、海軍省記者クラブの主任記者であった新名は、1944年(昭和19年)2月23日付東京日日新聞(現・毎日新聞)一面に、「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」という記事を執筆、これに東條英機首相が反発し二等兵として陸軍に懲罰召集を受けることになった(竹槍事件)。

新名が海軍省記者クラブの記者だったことから、海軍が「大正の老兵をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍に抗議し、陸軍は大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊に召集して辻褄を合わせた。

新名自身は日中戦争時は陸軍の従軍記者であった経歴と海軍の庇護により連隊内で特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になった。しかし、上述の丸亀連隊の250人は送られた硫黄島で全員が玉砕・戦死することになった。陸軍は新名を再召集しようとしたが海軍が先に国民徴用令により保護下に置いた。』
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新聞記事の竹槍より飛行機は当たり前のことだと思うのですが。
戦意高揚のためとはいえB29が上空から爆弾を落としているときに竹槍でやっつける
訓練、実際に役立つとは思えませんが婦人、子供も大変だった。これが戦争ですね。
二度と戦争はしてはいけません。



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